|
「青葉」「秋葉家」監禁暴行でわかった
ラーメン店主たちの「ドンブリ抗争」
「あの店は麺の縮れ具合が」うんぬん、「その店のスープのダシは」うんぬん・・・・・・。一たびラーメンを語らせたら、誰もが食通になる。だが本当の隠し味は、店主たちの嫉妬や怨念。味の盗用や看板の模倣、暖簾分けに仲違い。これを知れば、一杯の味わいが増すこと必至。
「週間文春」 平成17年7月28日号 |
 |
|
|
行列ができる名店青葉の店主・芳賀良則氏が、同じく有名店秋葉家の店主・川島義雄容疑者に拉致・暴行された事件は、ラーメン業界の奥底に渦を巻く嫉妬や怨念が、どんぶりの模様やナルトどころではないという事実を世に知らしめた。
川島容疑者の犯行動機が、真偽こそ不明だが、「あの味は自分が教えてやったのに、お礼も挨拶もない」というものだったからだ。
「青葉は豚骨と魚介系のダブルスープで有名になり、その味に影響を受けた店も数多く出来ました。青葉が新東京ラーメンを作った、といっても過言ではない。でも真似されたからといって、青葉が怒ったという話はない。流行りの味を真似するのは、ラーメン業界では至極当然のことですから」(ラーメンデータバンク代表取締役・大崎裕史氏)
まさに海千山千のラーメン業界。水面下では、激烈な足の引っ張り合いがある。
100%豚骨のこってり味「ぼんしゃんらあめん」などで人気の九州じゃんがら(以下、九州)は84年、秋葉原にオープンし、原宿や銀座にも出店する有名店だ。首相官邸近くの赤坂店には、昨年3月に小泉首相が訪れて語題となった。
が、知る人ぞ知る"じゃんがら"がもうひとつある。それが93年、水戸市でオープンした元祖じゃんがららあめん(以下、元祖)。両者は全くの別物だ。
「九州」の広報担当が語す。「10年前、お客様から『水戸にお店出してるみたいだけど、暖簾分けしたの?』と言われ、確認に行ったんです。看板のロゴも似ていて、非常に心を痛める光景がそこにはあった。抗議をしましたが、あちらは無反応でした」
"敵"を潰すため隣りに出店
だが、「元祖」の鬼沢正光社長はこう反論する。「『じゃんがら』という名を商標登録したのは、うちが先。向こうから抗議があったとき、こちらは登録申請後で、96年に認可された。ロゴは、スタッフで習字のうまい女の子が書いた。真似なんかあるわけない」
勢い付いた「元祖」は、ラーメンテーマパークに出店したり、カップ麺を発売。フランチャイズ展開も、最盛期には60店以上に広げた。結果「九州」側には、「間違って『元祖』に入ってしまった」という苦情が多く寄せられたという。
だが、不景気の煽りを受けた「元祖」は現在、6店舗にまで縮小している。一方「九州」は、念願かなって昨年11月「九州じゃんがららあめん」の商標がやっと認められた。
横浜発祥の豚骨醤油味"家系ラーメン"の争いは、代紋をかけたヤクザの抗争のようだ。現在では全国で200店とも300店ともいわれる家系だが、元々は74年、横浜の新杉田に吉村実氏が開店した、吉村家がルーツ。この吉村家で修業した弟子が独立する際「○○家」と店名をつけたことから、"家系"と呼ばれるようになった。
しかし、吉村家が直系店舗と認定しているのは6店のみ。直系の店内には必ず、「家系皆伝」と「家訓」が張り出されているという。「吉村家以外に有名な家系では六角家と近藤家が代表格ですが、この2店を吉村さんは認めていません。店員として吉村家を支えた人間が独立した両店ですが、今では敵視されています」
(家系に詳しい業界関係者)
こんな敵対関係がわかりやすく出たのが、横浜市港南区の環状2号線沿いに並んでいる本牧家と環2家。
「そもそも、吉村家が2店目に出した直営店が本牧家。紆余曲折あって別の人間が現在の場所に再出店し
たのですが、吉村氏との間でいざこざがあり、吉村家と縁を切ることになった。その後、本牧家の隣に吉村家直系の環2家ができたんです。いわば、刺客を送り込んだわけですよ。今では環2家が、完全に客を吸い取っています」(同前)
吉村家は自ら"家系総本山"を名乗り、吉村氏の別名は"横浜家系統将"(自称?)。だが"統将"は○○年、副業の無修正裏ビデオ販売がバレて逮捕。面子丸潰れとなった。
弟子に極端に寛容な店もある。東池袋大勝軒からは多くの弟子が巣立ち、常連客が開業した例まである。
店主の山岸一雄氏は、つけめん(大勝軒では特製もりそば)を考案したことで有名。旋盤工から転身した苦労人でもある同氏は、包容力溶れる人柄もあって、多くのファンから愛されている。が、その優しさからか味の秘密を隠さず、すぐに免許皆伝してしまうため、"大勝軒クローン"が急激に増殖した。
「売り上げが芳しくない店の人間が数日だけ大勝軒に弟子入りした後、愛弟子のような顔をして自分の店で"大勝軒出身"を謳い、もりそばを出したり、恥ずかしげもなく大勝軒と改名する例まである」本気で味を受け継ごうとしている側近は、面白くないようです」(ラーメン評論家)
弟子を束ねるのもなかなか難しいものらしい。現在、東京近郊に20以上の系列店を展開するラーメン二郎でも、本部が進めようとしていた多店舗展開に、複数の弟子の店が低抗した。吉祥寺のラーメン生郎も、そ
のひとつだ。店主の弁。
「そうだよ。もともとラーメンニ郎だよ。最初は三田とここしかなかったんだ。一番弗子ってほどじゃないけど、まあ最初の支店ということになるなあ。
ラーメン界にも"若貴戦争"が
二郎がチェーン店になっただろ。俺はさ、群れるのは嫌だし、チェーンに入ると、カネ取られるんだろ(笑)。まあ、そういうのもあって断わったんだよ。別にケンカしたわけじゃないよ。で、そのまま『ラーメンニ郎』じゃあっちに悪いから、テントの『二』に線を何本か入れて『生』にしたんだ。『三郎』でもよかったんだけどさ」
"元・二郎"には、ちゃんと改名していない店が多い。看板の二郎を塗り潰しただけの店や、「二」の字を○で囲んだラーメンA郎という店もある(元・二郎赤羽店)。
味や名前以外で争うケースもある。博多発の行列店一蘭と東京康竜の間に起こったった注文システムや内装を巡る闘争は、ついに法廷に持ち込まれた。
「一蘭の特徴は"味集中システム"といって、カウンターが一席ずつ板で仕切られ、各席に冷水が出る蛇口や店員の呼び出しボタンが付いている。目の前には目隠しの暖簾がかかり、カウンターのこちら側からは店員の顔さえ見えません。ラーメンが運ばれてくると、暖簾の下の部分にはすだれがおろされます」(ラーメン雑誌編集者)
○○年開業の康竜も、同様のシステムを取り入れた。これに一蘭が反発。01年、内装などの使用差し止めを求める仮処分を申請した。一度取り下げたが、02年には1千万円の損害賠償を求めて提訴。「結局、和解したようです。康竜の杜長は一蘭の元取締役で、一蘭の杜長とは大学時代からの知り合いでした」(前出・ラーメン評論家)
顔見知りだからこそ、余計にヒートアップしたということらしい。
「もともと一蘭は、アルバイトに至るまで誓約書にサィンをさせるほど、自杜ブランドを守ることに敏感です」(元・一蘭関係者)
同杜広報担当によれば、誓約書には「店で知った事を口外しない」「退店後は業界に携わらない」といった項目があり、開店以来、現在も続いているという。
さらに秘密主義を徹底する店もある。白菜と相性のいい独特のスープで人気のどうとんぽり神座では以前、スープや食材を盗まれた。そのため、スープが入った寸胴に鍵をかけて厳重に管理していた時期があったという。同杜杜員は語す。「今でこそ鍋に施錠はしていませんが、スープのレシピや保管場所を知っているのは、社長とごく少数の社員だけ。現在、スープは何箇所かの工場で管理されていると聞いていますが、詳細は私も知りません」
札幌ラーメンの名店純連をめぐっては、"ラーメン界の若貴戦争"ともいえる兄弟骨肉の争いがある。
ルーツは64年、村中明子さんが札幌にオープンした純連。この店が同市内で移転した際、呼び名を「じ
ゅんれん」に改めた。
「看板にあった『すみれ』の振り仮名が風雨で見えなくなり、お客から『じゅんれん』と呼ばれるようになっていたのを、そのまま屋号にしたそうです」(ラーメン総合研究所・武内伸氏)
この純連を明子さんの長男・教愛氏が継いだ。その後、三男の伸宜氏が純連の名で出店。こうして、全く
別の二つの「純連」が生まれた。
転機は94年。新横浜ラーメン博物館へ「すみれ」が出店したのだ。「すみれ」の伸宜杜長が言う。
「両親は出店に大反対。母から『純連の漢字は使わせない』と言われ、横浜出店を機に札幌の店も平仮名の『すみれ』にしたんです」
結果、出店は成功するのだが、それがさらに兄弟仲を裂いたのか、「教愛さんと伸宜さんはお互い忙しいと称し、会うことはほとんどない」(純連の内部事情をよく知る人物)
そして02年、今度は兄・教愛氏が高田馬場に「純連東京店」をオiプン。こちらもあっという間に行列店となった。ラーメン博物館の「すみれ」は昨年10月末に閉店したが、今月29日には激戦区・池袋に新店舗を出すという。
群雄割拠のこのラーメン界には業界団体がなく、純粋かつ過当なぎでの競争原理が働いている。『ラーメ
ンライダーが行く!』の著者・林英男氏が指摘する。
「最近はブームも頭打ちで、勝ち組負け組の差が歴然としている。ラーメンを文化として認めて欲しいなら、金儲けだけでなく、リーダーが業界の未来を考えなければならないでしょう」
どんぶりの底は、かくの如く深い……。
|
|
|
|